山城 遠山氏の城址
山城 遠山氏の城址
遠山氏は戦国の世を勝ち残るため、遠山谷一帯に多くの城を築きました。
現在でもその城址を見ることができます。
和田城址
高さ20m
遠山景広が築き、その後景直、景重の三代の居城となりました。
盛平山麓の台地とその下の平坦部をふくめて築造した平山城で、かつては遠山川が真下を流れており、天然の要害となっていました。
遠山氏没落後は、尾の島にあった遠山氏の菩提寺を城跡に移して龍淵寺と名づけました。
城址の一部は開墾され、また和田郷土館も建てられているため往時の痕跡は少なく、堀切などもありません。
享保3年(1718)7月の大地震で盛平山の一角が崩れたために、遠山川の流れも当時とは大きく変わっています。
龍淵寺の建つ場所が本丸、その北西の観音堂が建っているところが出丸です。
和田城背後の盛平山山頂にはオハチと呼ばれる平地があり、遠山氏の物見台があったと伝えられています。
現在の和田の町並が城下町です。尾屋敷、殿町、桜門前、的場などの地名が今も残されており、和田城との関わりを想像させます。
- 和田城址(高平館址から)
程野城址
高さ100m
上村上程野の外れ、本谷川と小沢川が合流する字城越の丘陵上にあります。
中央頂点に城山蚕玉神と山の神を祀る祠があります。舟底形の低地によって地蔵峠の峰続きとの連絡が絶たれており、展望もよいのが特徴です。
遠山氏はこの地形を利用して小城塞を作り、遠山北口の地蔵峠を押さえたのでしょう。
遠山様の御本陣址
上村北程野の外れにありました。遠山氏が江戸参勤の帰途、地蔵峠から下りてきてまずこの御本陣に落ち着き、行列を整えて和田城に入るための休み場でした。
八間に十二間の総ヒノキ造りの建物で、遠山氏滅亡後も村人の住宅として残っていましたが、小沢川の大洪水で流失してしまったと伝えられています。
中根城址(天神ヶ森城址)
高さ160m(遠山川原より)
中根集落の南側にあり、遠山川と上村川の合流地にそびえる丘陵上にあります。
西、南、東の三面は川に面しているため急峻で、北側だけがなだらかに下中根集落に続いています。
ふもとの山崎家(土地所有者)の屋敷の南隅に、遠山土佐守の墓石と呼ばれる小碑があります。
本廓の南北に一つずつ堀切があり、北の堀はかなり大規模です。廓の中央に刑部様とも天神様とも呼ばれる小祠があります。
熊野城や木沢城と比べて展望がよいため、この城は遠山氏の属城として北面の守りをしたものと思われれます。あるいは木沢に館を構えたという新助景道の持ち城だったかもしれません。
- 中根城址
木沢城址
高さ約160m(旧道より)
木沢集落から中央の三ツ沢に沿って西に上った山頂にあります。
規模も構造もさほど大きくなく、また展望もあまりよくありません。近くに重要な街道も通っていないので、遠山氏の隠居所もしくは隠れ城だったのかもしれません。
- 木沢城址
熊野城址
高さ95m(国道より)
木沢と小道木の境の、山の先端部にある山城。百体庚申の近くです。 丘の頂上には二つの曲輪と二つの堀切があります。
- 熊野城址
高平館址
高さ15m(県道より)
和田宿の南にそびえる正善寺山の麓の段丘上にあり、高平(たかたいら)と呼ばれています。商工会の近くの道から、民家の間の細い石段を登ったところにあります。
遠山刑部政善(景広の甥)の居館址とされています。この館址の西に正善寺の址があり、その一隅に薬師堂があります。
- 高平城址
尾の島館址
和田の諏訪社の後方から遠山川原に突き出た小台地にあり、地元では一本松のお城と呼んでいます。
尾の島八幡縁起に「遠山弥助尾の島に住す」とありますが、この弥助がどのような人物だったのか、詳しいことは明らかでありません。
- 尾の島城址
八重河内城址
高さ160m(梶谷川より)
八重河内集落の東700m、梶谷川の左岸の城ホツと呼ばれる岩山の頂上にあります。南北ともに急峻な崖壁となっており、三段の平地と三ヶ所の堀切があります。
この城は遠州に通じる交通路を一望のもとに収め、和田城の背面を守る番城として重要な位置を占めています。
地元では遠山様の隠れ城と呼んでおり、かつて刀剣と鉄鏃数個が城址から出土したそうです。
長山城址(名古山城址)
高さ103m(遠山川より)
南和田の名古山集落の東、遠山川に突出した高さ100mの山頂を利用して築かれた城。信玄滝の近くです。
北西から順に北の堀、西曲輪、本丸、小曲輪、南の一の堀、南の二の堀、物見台があります。
左右の山は急峻、河岸も断崖なので容易に近づくことができません。
長山城は遠山の諸城の中でも規模が大きく、名古山、和見などの部落を前面に控えて有利な地形にあることなど、和田城に次いでいます。
しかも典型的な山城であることからみても、戦国の最盛期、和田城以前の築造ではないかと思われます。
遠山景広は初めここにおり、後に和田城に移ったと伝えられています。景広が和田城に移った後は武将にこの城を守らせました。
遠山氏没落後、景広の弟豊前豊国の孫、景治が郷士となってこの城に住み、喜多遠山氏の祖となりました。
- 長山城址
十原(とっぱら)館址
高さ85m(遠山川より)
遠山川の左岸、南和田の東の台地上にあり、地元では城山と呼んでいます。
土佐守景直の弟、景忠の居住したところといいます。
西は長山城と相対しており、展望もほとんど変わりません。
遠山氏の館はこの台地の頚部にあたる平坦地にありました。
かつては堀切などもあったといいますが、開墾されて今は残っていません。館址の後ろの小高い丘状地は城神社の社地となっています。
- 十原館址(城神社)
大町城址
南和田の左岸に標高600mの孤峰があり、その頂上に平地があります。ここは、峡谷の西口を防御するために設けられた番城あるいは狼煙台の類だったと思われます。
満島城
天龍村平岡にあります。城址の周辺には弓場、御陵、ネギヤ、松葉(的場か)などの地名があります。南北朝時代の宗良親王に関係があるものという説もありますが、市村咸人によれば、地形や遠山諸城との関係からみて、戦国時代の遠山氏の要塞と思われる、とのことです。
●参考文献
『遠山氏史蹟』 市村咸人
『図解山城探訪 第七集下伊那資料編』 宮坂武男 1999 長野日報社
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