長野県最南端の秘湯と秘境の里・山と渓谷に囲まれた里山がここにあります

信州遠山郷

遠山郷観光協会/長野県飯田市南信濃かぐらの湯となり
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庚申講の思い出

庚申講の思い出

高齢者の語り ふるさとへの伝言

庚申講が盛んだった頃の様子を、 『高齢者の語り ふるさとへの伝言』から、かいつまんでご紹介しましょう。

  • minamiwada庚申様の石像(南和田)

庚申祭り

此田 山崎岩男(72)(『高齢者の語り 第一輯』 昭和58年)

農家の守り神様の庚申様をお祭りする行事が古くから伝えられていた。昭和に入って中絶するまで続けられて来ました。
 私共の組合では農家関係者十五家庭の主人が、年六回の庚申の日には各家庭で得意とする季節料理を一品ずつ持ち寄り、猿田彦大神の神前にお供えして 「お庚申で庚申で まいたらまいたらすわか」 と言うお祈りの言葉を百回くらい繰返し、お祈りをしました。
  終わるとみんなでお酒を頂きながら色々な話しに花がさきました。

庚申様の祭り

押出 森下一男(81)(『高齢者の語り 第二輯』 昭和59年)

・・・庚申(かのえさる)と申して何事もかなえざることなしといわれ、家内安全、農作物の豊饒などを祈願するため、部落中の者がまわり番に宿を決めて集まり、猿田彦大神の掛軸を神前にかけ、御庚申でござるを唱え、なお三社の祓(はらい)を唱えて祈祷をいたしました。それがすむと一品ずつ持ち寄った重箱を開き酒盛をしました。
 農家にとってはこんなに大切な晩でありますから、ひたすら信心祈願に打ちこみ、夜業のわら仕事、針仕事などはいうまでもなく、男女関係など一切つつしまなければなりませんでした。
 押出部落では大正十四年頃中止になりましたが、他の部落ではその後も長く続けていたことも覚えています。
 押出部落でも庚申講として部落民が集まっての祭りをやめてからも、各家庭で萩の餅(俗にボタモチ)を作って神様に供えましたが、そのうちに信仰がうすれて庚申の日も忘れてしまい残念です。

庚申様の晩

中新町 石井勲三(65)(『高齢者の語り 第二輯』)

「南無梵天帝釈青面金剛童子」(なむぼんてんたいしゃくせいめんこんごうどうじ)と音頭をとるおじさんが呪文を唱えると、後に並んだ皆がいっせいに「南無梵天帝釈青面金剛童子」と合唱していく。
  音頭をとるおじさんの数取りの一銭玉が移動するたびに、その声は次第に高くなって夜の静けさをひきたてている。
 お祈りする皆の前には庚申様の掛軸があって、巨大な体の庚申様が六本の手にそれぞれの武器を持って、地上の悪人どもをにらみつけている絵がかけられている。
  その前の台には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が並んでいて、にわとりがすべてのトリとして仕えている。
 供物のお酒、煮干、洗米、ダンゴ等がローソクのほのかな光に浮かんで、厳かな気分がただよっている。
 繰り返し行われた呪文のお祈りも、音頭をとるおじさんの打つかしわ手を合図に終わりとなり、用意された酒肴とともに酒盛が始まるのである。
 私はその頃小学校の低学年で今から六十年も昔のことであるが、そうしたおじさんたちの暖かなふん囲気と、おこぼれのごちそうに満腹するとともに、ほた木の暖かさについ眠ってしまい、起こされたときには、あのにぎやかだったおじさんたちも帰ってしまい、庚申様だけがローソクの残り灯に浮かんでいた。
 朝になると米の粉で作った庚申ダンゴを真新しい中折につつんで、お駄賃を楽しみに配って歩いたのも楽しい思い出の一つになっている。
 昭和初期の不況の波に襲われるとともに、そうした庚申講を行う人が少なくなり、あのいまわしい戦争への足音がだんだんと近づいて来たのである。

山原の庚申様

山原 高根金一(75)(『高齢者の語り 第一輯』 昭和58年)

農家の守り神様の庚申様をお祭りする行事が古くから伝えられていた。昭和に入って中絶するまで続けられて来ました。
 私共の組合では農家関係者十五家庭の主人が、年六回の庚申の日には各家庭で得意とする季節料理を一品ずつ持ち寄り、猿田彦大神の神前にお供えして 「お庚申で庚申で まいたらまいたらすわか」 と言うお祈りの言葉を百回くらい繰返し、お祈りをしました。
  終わるとみんなでお酒を頂きながら色々な話しに花がさきました。

庚申祭り

此田 山崎岩男(72)(『高齢者の語り 第二輯』)

山原部落には昔から庚申講と言って、南組と北組の二組に分かれ、七、八人ずつの人たちによって組を作り、当宿と言って当番の家で猿田彦大神ののぼりを立てて、今夜はわたくし宅が当番であることを標示します。
 日が暮れ暗くなると、みんなが提灯をつけて「お疲れでございます。今夜は庚申様の当宿をご苦労様」と、一銭か二銭を各自持って来る。宿では奥座敷の信心棚に猿田彦命の掛軸を掛け、さい銭と供物、ウドンの煮た物などを供え、ローソクに灯をつけて誰か音頭をとり全員で拝むのですが、その拝む祭詞は私も忘れましたが、こんな拝み方だったかと思います。

東方ひがしは厄師の浄土
懺悔懺悔 六根清浄
悪行煩悩眩人無情
地震に咎むは許させ給え 逃させ給え
一に来参らする南無青面金剛童子
南方みなみは阿弥陀の浄土 (以下は東方に準ずる)
西方にしはお釈迦の浄土
北方きたは観音の浄土
空中央は方日方小不動の妙玉
南無青面金剛童子

最後に南無青面金剛童子を百回くり返し、手を合わせ、一同ご苦労様とお互いにあいさつして終わり、それから宿の接待により、酒肴で農作業の話、蚕の話、世間話をして、その後で必ずうどんを頂戴して皆解散する。
 宿では明日、次の当番にのぼりと掛軸を送るという行事がいつから続いたのかはわからないが、私の知る限りでは、明治の末期から大正年代、昭和初期まで続きました。
 その後は南組も北組も一緒になり、村中合同で観音堂(今の公会堂)で行いました。戦火がきびしくなってから、いつともなく行われなくなりました。

三州離山庚申

中本町 宮沢宏(70)(『高齢者の語り 第四輯』 昭和63年)

横道を(下本町)を少し登った所に、高平薬師堂がありますが、その横に離山庚申の祠があります。
 時は明治15年前後のことです。私の祖父(鎌倉善弥)は、三州離山の奥の飯場に泊まり、山仕事をしておりました。
  ある日のこと、一人の人夫が作業途中で飯場に帰ってしまったので不審に思っていました。ところが帰ってみると、その人夫は金や衣類などを持ち逃げし、姿をくらましてしまいました。
  驚いた人たちが後を追いかけましたが、後の祭りでした。
 祖父が犯人を探して歩いていると、神社があってその側に庚申が祀られていました。そこで庚申へ犯人足止めの願をかけて、飯場に帰りました。
 それから二、三日してその人夫が、「誠に申し訳ない」と言って飯場に帰ってきたそうです。祖父は庚申様に米団子と旗をあげてお礼に行ったといいます。
 山仕事が終わり、家に帰るとき、祖父はその庚申の一体を譲り受けて持ち帰り、八重河内の小瀬戸に安置したのです。そしてその後、今の横道(高平)へ移転しました。
 これは私が父母や叔父さんたちから聞いた話です。それで私たちは今でも、十日目の庚申の日には米団子、その他の供物をあげ、祭りに行っております。
 また、物が紛失したり忘れ物が出てこない時などは願をかけて、ご利益を頂いております。
 また大勢の方がこの庚申には参拝して下さっています。

オコウシンオコウシン、マイタリマイタリソワカ(15回唱える)  
オコウシン(礼する)オコウシン(礼する)  
マンダリマンダリソワカ(15回唱える)

  • hanare高平の離山庚申

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