和田宿町並み探訪
和田宿
和田の商店街は、現在でも遠山郷の中心地としての役割を担っています。 村の人口減少にしたがって空き店舗も目立つようになりましたが、和田商栄会では、平成十一年に霜月祭りのモニュメントを設置するなど、商店街の新たな魅力作りに取り組んでいます。
町づくり研究会
若手有志が平成8年に結成した町づくり研究会では、村内外の団体との交流を通じて、街づくりの論議を深めてきました。
研究会長の鈴木理さん(スズキヤ肉店)は、空店舗となった隣家を借りて無料休憩所を開いています。また、研究会では、「人の駅構想」を提案しています。地域のお年寄りなどに語り部として人材登録してもらい、「人の駅マップ」で紹介。旅人が気軽に訪れ、ふれあいを通じてより深く遠山の良さを知ることができるようにしようというアイデアです。
- 休憩所でくつろぐお客さん
現在建設中の夜川瀬バイパスが完成すれば、和田宿を通る車の流れがぐんと減ることになります。そのときまでに町並の魅力に磨きをかけ、「ちょっと寄り道したい街」「歩くと楽しくなる街」として定着させていくことができれば、和田宿の未来はより明るいものになるに違いありません。
往時の『和田宿』看板に
2008年、地元住民からの聞き取りを基に昭和20~40年代の和田宿の町並みを描いたイラストマップを完成させました。その後2010年にこのマップを使って看板を作成しました。
看板は、観光案内所「アンバマイ館」の前に設置しました。縦90センチ、横180センチの大きさです。
マップは縦21センチ、横47センチ。片面には昭和の和田宿に並ぶ住宅や学校などの外観をイラストで描写しました。1957(昭和32)年に撮影された旧遠山中学校の校門前などの写真10枚を盛り込んであります。もう片面には現在の和田宿の地図を載せて、飲食店などの位置を紹介している。
- 和田宿案内看板
マップはアンバマイ館などで配布しています。看板とマップの製作費は県の元気づくり支援金で賄いました。
遠山郷まちけんの会長、鈴木 理さんは「観光客に利用してもらうとともに、住民たちが地域づくりを話し合うきっかけづくりとしても活用していきたい」と話していました。
宿場町の湧き水
- 昔ながらの湧き水
- 新しくできた休憩所
南信濃村商工会の道路ぎわに、小さな水場があります。家庭排水? とんでもない! これは遠山谷の地下から湧き出しているれっきとした地下水なのです。
村に上水道が普及するずっと以前から、この湧き水は地元の主婦たちが米とぎや野菜洗いに使ってきました。
現在は商工会前にも、湧き水を引いた休憩所が作られています。夏は冷たく冬は温かいその水は、飲用としても問題ありません(※注)。
山のふもとに細長く広がる和田宿には、絶好の湧水ポイント。今でもところどころに、昔からの清水が残っています。
和田宿の民家は細長く、表通りから裏通りまで、牛が通り抜けられるように通路ができていました。中庭にはどの家にも清水を溜めたいけすがあり、家畜の飲用や洗濯に利用していました。
お買い物や散歩の途中、和田の清水で喉をうるおしてみてはいかがでしょうか。
※1 飲用水としても問題ないとされていますが、殺菌されていない生水ですので、ご利用の際はご注意ください。
フォトアルバムでみる和田宿
南信濃村に訪れた皆さん。古き良き和田の町をじっくり歩いてみませんか。
普段車で通り過ぎていると、和田の町の隠れた良さに気が付きにくいものです。 そして、町のひとと語りふれあってみてください。
昭和30年代にタイムスリップしたような、懐かしい故郷に帰ったような一時を味わえるかも。
和田宿の歴史
時代ごとに表情を変える宿場町
南信濃村の中心市街地、和田の街。戦国時代は遠山氏の城下町として、江戸時代には秋葉街道の宿場町として栄えました。また、王子製紙による山林伐採が行なわれた明治から大正にかけては、料亭などが立ち並ぶ一大繁華街でもありました。
車を停めてゆっくりと歩くと、軒を連ねる家々のたたずまいに、かつての面影をしのぶことができます。
遠山氏の城下町
戦国時代~江戸時代初期
遠山氏三代が和田城を治めていた時代、その城下町は現在の和田本町地区の範囲だったと思われます。
城下町は盛平山と遠山川の間に広がり、和田城の外廓の役割を果たしていました。現在に残る尾屋敷、殿町、桜門前、的場といった地名は、当時の名残であると推測されています。
武田信玄も元亀3年(1572)に大軍を率いて和田を通過しました。青崩峠越えに先立って、兵士たちは和田の城下町でつかのまの休息を得、行軍の疲れを癒したのではないでしょうか。
遠山氏は元和4年(1618)に滅び、その30年後に龍淵寺が城址へ移転しました。
秋葉街道の宿場町
江戸時代中期~明治時代初期
江戸時代中期以降になると、商品流通が活発になるとともに、社寺への参詣が盛んになります。和田の町は秋葉街道の宿場町として、交易の品々と参詣の往来人とで賑わいました。
享保3年(1718)に発生した大地震では、、盛平山の西側斜面が崩落して川の流れが西へ移動し、新町地区の誕生につながりました。
- 和田の町並み 『写真でつづるみなみしなの』より
山林景気の繁華街
明治時代中期~大正時代
明治8年に誕生した遠山村の役場は、木沢地区に置かれました。和田に役場が移転したのはその2年後、木沢の町が大火に襲われたことがきっかけでした。
明治29年(1896)からは王子製紙による山林の大規模伐採がはじまり、村は山林労働者でふくれあがりました。
現金収入を手にした男たちは和田の街にくりだし、料亭で豪勢な遊びを楽しみました。和田宿には多くの料亭が立ち並び、カブチャ(歌舞者)と呼ばれる酌婦が男たちの人気の的となりました。
明治40年には、飲食店は20軒、商業の中では村で最も多い業種となるほどでした。
- 杣師やヒヨウで賑わった料亭「仙鶴亭」『写真でつづるみなみしなの』より
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