遠山郷土館 和田城
遠山郷土館 和田城
遠山郷土館[和田城]は、南信濃村和田の街をのぞむかつての和田城跡地にあります。 戦国時代、この地の領主であった遠山氏の 当時の栄華を偲び、「和田城」の再現を図ったものです。
伝統芸能をマルチビジョンで紹介し、 霜月まつりに使う面の複製面を200点余り展示するなど、 芸能文化の里にふさわしい施設となっています。 野外には、遠山土佐守・徳川家康対面像があります。
- 館内には霜月まつりの面が展示してあります
★2020年12月18日(金)から
飯田市発行 マンホールカード配布。(飯田市での発行は2種類)
利用料金 | 大人310円(高校生以上) 小人100円(小学生未満無料) |
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定休日 | 木曜日 (祝日が木曜日の場合は、翌日) 祝日の翌日 |
営業時間 | 9:00~16:00 |
冬期休業 | なし |
電話番号 | 0260-34-2355 |
戦国時代と遠山氏
英雄雲のごとく起こった戦国争乱の時代、この地に本拠を構えた豪族遠山氏は、遠山六ヶ村のほか、大河原、鹿塩、福与、部奈及び上伊那の赤穂を合わせ三千五百石を領し全盛を誇っていました。
なかでも二代領主遠山土佐守景直は機略に優れた人物で、徳川家康に従い大阪冬夏の両陣に出陣し戦功がありました。
土佐守が元和元年和田城に没すると嘉兵衛景重が領主を継ぎましたが、病弱のため早逝し、子がなかったので同族の間で相続争いが起こり、領民もまた二派に分かれて不穏の状態となったので、徳川幕府は一家不取締の理由をもって領地をことごとく没収し、徳川直轄の地としました。
一説には百姓一揆が引き金となり遠山氏は滅んだとの史家の有力な論証もあります。
いずれにしても、遠山氏の栄華は三代で終わり、一族思い思いに離散して、その最期は憫れであったと言われています。
遠山氏の家紋
その昔、遠山土佐守が岡崎に出て、徳川家康に初めて謁見した時のこと。土佐守は食事をする時、左手で茶碗を隠すようにして食べ、しかも食事が終わると二本の箸を、茶碗のへりに渡しておきました。
家康が不思議に思い尋ねると、「遠山谷の習慣です。遠山は山と谷ばかりで、田が少ないので米がとれません。ですから、上下を問わず領主の私も、麦または粟などを常食としております。
それゆえに貴い人の前で食事をするときは、これ恥ずかしく隠してしまう習慣がございます。先ほどはお見苦しい不作法をつかまつり、誠に失礼いたしました」と述べたそうです。
翌日、家康から「昨日、その方が申し述べたこと如何にも気の毒である。よってこれから上穂領(上伊那)千石を増加し、その方の家紋を、その茶碗のかたちに型どり、このようにいたすがよい」とお言葉を賜りました。
面目を果たせた土佐守は、それ以来この家紋を使用するようになったと伝えられています。
書籍のご案内
●南信濃村史/4,400円
●神社と面/500円
●霜月まつり/500円
●はるかなる遠山郷/200円
●椀かしぶち/1,500円
その他、てぬぐい・のれんなど、各種関連商品を取り扱っております。 ※表示金額は税込み価格です(送料別途)
[お問い合せ先] 遠山郷土館 和田城 Tel.0260-34-2355
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