御柱祭のルーツ
御柱祭のルーツ
御柱の起源について
室町時代に記された「諏訪大明神絵詞」 (※注1) によれば、諏訪大社の御柱祭(式年造営大祭)が信濃国を挙げて行われるようになったのは、桓武天皇(在位781~805)の時代からであるといいます。おそらくはそれよりも以前から、諏訪地方では大木を建立する祭りが行われていたことでしょう。御柱の起源についての詳しいことは、まだ明らかになっていません。
江戸時代まで、諏訪大社は境内に神宮寺を擁する密教寺院の性格も持っていたため、御柱も仏教行事の一つとして解釈されていました。
4つの柱は四方位を司る四天王(東方持国天、西方広目天、南方増長天、北方多聞天)であるとする説や、境内を護摩壇に見立て、御柱はその結界を張る独鈷であるとする説が、すでに鎌倉時代から唱えられていました。
もちろん御柱は、仏教の経典に基づいた行事ではありませんから、現在の研究者からは、様々な仮説が示されています。その代表的なものをご紹介しましょう。
※1… 室町時代、足利尊氏の側近として活躍した小坂円忠(上社系諏訪氏)が記した絵巻物。現存する写本は文字のみですが、諏訪大社の歴史を知る上で最も重要な古文書の一つです。
- 諏訪大社春宮と二之御柱
神殿の柱説
御柱祭の正式名称は「諏訪大社式年造営御柱大祭」といいます。現在では御柱建立にあわせて宝殿が改められるのみですが、中世までは鳥居や瑞垣なども含めて建物を新しく造営するのがしきたりとなっていました。周期的に社殿を建て直すのは諏訪大社のほかに、伊勢神宮やかつての出雲大社などの例があります。
諏訪大社は神殿がないのが特徴ですが、神域の四隅に建てられる御柱は、かつて巨大な神殿が存在した名残ではないかと想像する学者もいます。つまり定期的に神殿を新しく造営していたものが、簡略化によって四隅の柱の建て替えだけが行われるようになった、とする説です。
- 巨大な社殿を持つ出雲大社
トーテムポール説
トーテムポールとは、先祖の霊をまつるために一族が立てる柱のことで、アメリカ先住民のものが有名ですが、日本の遺跡からもよく似た柱の跡が出土しています。
諏訪や八ヶ岳山麓の縄文遺跡からは、柱や石を規則的に並べて立てた遺構が多く出土しており、この柱跡には屋根や壁、生活の痕跡が見られないことから、トーテムポールではないかと推測されています。
三内丸山遺跡から発掘された巨大な柱は有名ですが、同様の巨柱は北陸から越後にかけて多く存在します。これらの遺跡の分布する地方に、諏訪信仰が色濃いことも興味深い事実です。
『日本書紀』にも、トーテムポールと思われる記述があります。
欽明天皇(在位539~571)の妃だった固塩(きたし)姫の遺体が、夫の陵墓に改葬されたとき、朝廷に仕える氏族たちがこぞって陵のまわりに土山を築き、氏ごとに大柱を建てた、というのです。
欽明天皇に仕えた氏族の一つが、のちに諏訪大社下社の大祝となる金刺氏ですから、この行事と御柱は何らかの関係があるかもしれません。伝承によれば、上社本宮は建御名方命の陵墓、前宮はその妃である八坂刀売命の陵墓であるとも言われています。
陵墓の周囲に柱を建てるという点でも、書紀の記述と御柱行事は良く似ているのです。
民俗学では、先祖の霊は山に宿り、周期的に里へ下るとされています。たとえば正月の門松は、松に先祖の霊を宿らせ、里へ迎える行事です。
上社の御柱は八ヶ岳山麓の御小屋山、下社の御柱は霧ヶ峰(車山)西麓の東俣国有林から切り出され、木遣唄にも
「御小屋の山の樅の木は 里に下りて神となる」
と歌われています。御柱とともに山を下る神が祖霊だとすれば、御柱=トーテムポール説にはかなりの説得力が出てきます。
- 三内丸山遺跡の掘立柱遺構(復元)
トーテムポールについては、三宅善信氏のレポート 「神道と柱」 をどうぞ。
結界表示説
『古事記』の国譲り神話では、建御名方命は建甕槌命との戦いに敗れて諏訪に逃れ、二度とこの地を出ないことを条件に死を免れます。この神話から、古代の諏訪は外の権力が及ばない聖域であり、御柱は結界を張るための標識だったのではないか、と想像する学者もいます。
似たような例が、外国にあります。朝鮮半島には蘇塗(そと) (※注2)という聖地に柱を立て、そこに鈴や太鼓を吊るして鬼神を祀る風習があったことが、『魏志』馬韓伝に記されています。蘇塗の中に逃げ込んだ者は、たとえ罪人であっても捕まえたり追い出したりすることはできない、とされていました。
諏訪大社には、明治初期まで御使御立座神事という行事があり、神使(おこうさま)という少年が御杖柱と呼ばれる小さな柱を携えて、大社の周辺を巡りました。この御杖柱には、鉄の鈴 (※注3) が吊るされていたといいますから、蘇塗の柱にそっくりです。もしこの御杖柱が御柱のミニチュアだとすれば、韓国の蘇塗と諏訪の御柱とは、何らかの関連があるのではないかと想像したくなります。
※2…韓国には、村境などに「ソッテ」という柱を建てる風習があります。ソッテには鳥の模型がつけられ、これは日本の鳥居の原型ではないかとも言われています。 国内では、蘇塗の流れをくむと思われる信仰が長崎県対馬にあります。厳原町豆酘の卒土(そと)と呼ばれる場所に、八丁郭という石積みの塔があり、この場所に逃げ込んだ罪人は追われることがないとされていました。
※3…正式には鐸(さなぎ)といい、諏訪大社の神器のひとつ。銅鐸に似たその形状から、弥生文化との関連性が指摘されています。
- 御杖柱と鉄鐸 (守矢神長家資料館)
韓国忠清南道の恩山村では、村の東西南北にチャンスンという、人面を刻んだ柱を立てるそうです。東西南北のチャンスンにはそれぞれ青帝、白帝、赤帝、黒帝と名がつけられ、別神祭という行事の日にはこれらのチャンスンとともに三メートルほどのクヌギの木を立て、山の神を祀ります。この行事は、百済時代に死んだ将軍の霊をなぐさめるためのものだといわれています。
山の神を祀って四本の柱を立て、古代の戦で敗れた将軍の霊を慰める。こうした点は、諏訪の御柱にとても良く似ています。
- チャンスンの模型 (国立民族博物館)
天地を支える柱説
さらに視野を広げてみると、世界各地には「世界は四本の柱によって支えられている」という神話が見られます。
- ビルマ北部のカチン族の神話では、創造神が天地を鉄のように鍛えて一つの塊にし、それを二つに割って大地を下に置き、四本の柱でその上の天を支えたといいます。
- インドネシアのセラム島タトゥリ地区の村々には、「聖なる村の石」と呼ばれるモニュメントがあります。平石を四つの石が支える形のもので、これは天が四つの柱で支えられているという世界観を象徴しています。
- 南アメリカのマヤの神話では、世界の四隅には四本の巨大なバオバブの木が生えているとされています。
- 中国神話によれば大昔、天を支える四本の柱が倒れてしまったため、女カ(女咼)という女神が亀の足を切ってそれに代えたといいます。
日本でも、中国のそれによく似た神話が長崎県壱岐地方に伝えられています。神が壱岐の島を作ったとき、潮に流されないよう八本の柱で島を支えました。
その柱が折れてしまったので今度は縄でつなぎ止めましたが、これもまた切れてしまいました。そのため、壱岐は今でも少しずつ流されているのだといいます (※注4) 。
御柱が世界の四隅を支える柱を象徴しているとすれば、その巨大さも、四本という数の意味も理解できます。
事実、建立の終わった御柱が倒れたり傾いたりすると、世の中に不吉な出来事がおきる、という言い伝えが諏訪にはあるそうです。その証拠に、第二次世界大戦の時も御柱が少し傾いていたといいますから、御柱を建てる氏子の人達は責任重大です。
- 壱岐を支える柱の一つといわれる猿岩 (郷ノ浦町)
しめくくり
折口信夫は、柱(ハシラ)は階(キザハシ)などと語源を同じくし、天と地とを結ぶ橋(ハシ)であり、神は柱を目指して降臨する、と唱えました。
日本では、神を数えるとき「一柱、二柱」と数えます。国生み神話では、伊邪那岐命と伊邪那美命が天之御柱をめぐって結ばれます。
伊勢神宮には「心の御柱」、出雲大社には「岩根御柱」という神秘的な柱が、本殿の中央に存在します。
諏訪の御柱の起源が何であれ、それがこんにちまで続いてきた背景には、こうした柱にまつわる日本人の神観念が横たわっているのでしょう。
御柱とは何か。この問いは、諏訪信仰を研究する人々にとって永遠のテーマです。おそらくは未来永劫、結論の出ない問題なのかもしれません。
けれど当の氏子の人達にしてみれば、祭りの起源などたいした問題ではないはずです。大切なのは祭りを受け継ぐ固い意志と、その充実感なのではないでしょうか。
皆で力を合わせて山から曳いてきた御柱が、天を衝いてそそり立つ。それを見上げたときの達成感なくしては、御柱祭もこれほどまでに大きな行事として発展してこなかったでしょうし、遠山谷の人々も、それを地元に呼ぼうとは考えなかったことでしょう。
もしかしたら縄文時代の人達も、祭りの後のどんぐり酒(?)が飲みたい一心で、声をそろえてトーテムポールを引っ張っていたのかもしれません。
●御柱に関するリンク集 御柱Web http://www.onbashira.jp/ 諏訪地方観光連盟が運営。御柱祭の最新情報など。 ●参考文献 「強大なる神の国」 宮坂光昭 (『御柱祭と諏訪大社』 1987 筑摩書房) 「聖空間の構成原理――文化人類学の視点から」 大林太良 (同上) 『諏訪の御柱祭』 宮坂清通 1956 甲陽書房 |
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