此田神楽
此田神楽
復活から発展へ ~男たちの執念~
獅子舞と聞くと勇壮なイメージが先行しますが、此田地区に伝わる神楽獅子は、振袖をまとって優雅に舞うのが特徴です。
本来は雄雌一対で、雄獅子の頭も現存しているのですが、衣装や道具の関係で、今の時点で舞が行われているのは雌獅子だけです。
かつては結婚式や建前、祭礼などに欠かせない存在だった此田神楽が、ついに途絶えたのは昭和42年頃。昭和30年代から進んだ人口の減少によって、伝承者が不足したことが原因でした。
試行錯誤の練習
やがて、古老たちは一人またひとりと他界していき、平成の時代に入ると、神楽の全容を覚えているのは山崎鶴好さん(故人)ただ一人になってしまいました。
彼は当時すでに80歳を越えており、 「もし鶴好さんがいなくなったら、此田神楽は消えてなくなる。復活させるとしたら、今しかない」 という声が、地区の若者たちから上がったのです。
此田地区だけでは人手が足らないので、八重河内全体から祭り好きの有志を集め、鶴好さんを囲んでの練習が始まりました。
意外なほどの難しさに、一度は練習が挫折したこともありましたが、村おこし事業の一環として行政のバックアップを受け、稽古は再開されました。平成四年の御柱祭でのお披露目を目標に、週一、二回のペースで練習を重ねました。
舞は鶴好さんの舞や笛をビデオやオーディオテープに録画し、動きの一つ一つから学びました。舞の演目が異なれば、笛が奏でる曲も異なります。現在でこそ曲目は採譜されていますが、当初は鶴好さんの指を見つめ、「チロラリヒャリヤ……」と口ずさみながら旋律を覚えました。
披露公演の大成功
- 沢口優さん
現会長の沢口優さんは、初舞台を振り返ります。
「御柱祭でのお披露目は、大成功でした。とても評判がよかったんです。それで自信がついて、毎年正月二日には初舞として村中を回るようになりました」
一躍脚光を浴びた此田神楽は信州博や飯田のお練り祭にも招待され、平成13年には村の無形民俗文化財に指定されました。
現在の此田神楽保存会のメンバーは10人。うち舞手が2人、笛が5人、楽屋と呼ばれる太鼓役が1人います。
現時点でのレパートリーは、「悪魔っぱらい」「練りこみ」「おのさ舞」の三種。
「悪魔っぱらい」はその名のとおり、獅子が玄関から入って悪魔を家の奥へ追い詰めて捕まえ、外へ追い出す様を舞います。
「練りこみ」はブク(不浄)を祓って無病息災を祈る舞、「おのさ舞」は三尺のノサ(オタカラ=幣)と鈴を持って舞うものです。
「悪魔っぱらい」は5分ですみますが、「おのさ舞」を丁寧にやるとなると一時間はかかります。
段物である「八百屋お七」などの映像資料も残っているのですが、長丁場の演目なので未だ公演されたことはありません。
此田は戸数二十三戸の小さな集落なので、此田神楽保存会員の六割は他集落の住民です。会員の世代構成は二十代~五十代と比較的若手が多く、いずれは鶴好さんから受け継いだレパートリーを増やしていきたい、と意欲的です。
初舞とその苦労
毎年、観光客の姿もまばらな正月二日の和田宿の街角に、笛と太鼓の音が響きます。
先触れが家に神楽来訪を伝えてしばらくすると、艶やかな振袖をまとった雌獅子がやってきます。獅子は右手に鈴、左手に御幣を掲げ、笛の音にあわせて玄関から入り、土間で舞いながら悪魔を外へ追い払います。
お札配りも、頭噛みも、昔ながらの伊勢太神楽の姿そのままです。朝九時から夜六時まで、村中の100~150軒の家々を回ります。
舞手は二人交代で、獅子頭の支柱を歯で噛んで支え、手に鈴と御幣を持って、家から家へと舞続けます。
舞手である沢口さんは語ります。
「舞は二人交代ですが、そりゃもうクタクタですよ。寒いですしね。それでも今ではみんなが此田神楽を待っていてくれるようになっているので、やめるわけにはいきません。神楽を呼ばない家でも、正月に神楽がないと寂しがりますから」
- 初舞の合間に一服
此田神楽の魅力とは?
沢口さん(保存会長)
「舞っているうちに舞の中に入り込んでしまう感覚がなんとも言えません。なんと言うかなあ、自分が獅子と一心同体になるような感じです。自分が神様と一緒になってしまう感じは、霜月神楽と同じですね。 『どうせ見世物だから、客への見栄えさえよければいい』なんて風には妥協できないんですよ。舞っているうちにだんだん真剣になってしまいます」
伊崎将夫さん(保存会副会長)
「わたしは笛担当です。笛も舞手と一心同体にならなければなりませんから、その息がぴったり合ったときはとてもうれしいですね」
沢口さん
「そうそう。舞手がもたついたときは笛が合わせてくれたり、笛のテンポがずれたときには舞手がうまく所作を変えたりしてね。舞手も笛も楽屋も、みんなチームワークで助け合わなきゃいい舞はできない。そこが難しいし、面白いですね。 こうしたことは、好きでないとできません。強制的に受け継がせようなんてのは無理です。メンバーはみなこういうこと
平成16年は、此田神楽が復活してから3回目の御柱祭。記念すべき晴の舞台を目前に、保存会員の意気込みも例年に増して強いものがあるようです。
此田神楽のルーツ「伊勢太神楽」
神宮セールスマンの営業戦略
此田神楽は、伊勢太神楽の系統を引いているといわれます。
では、太神楽とはいったいどんな神楽なのでしょうか。
伊勢太神楽を全国に広めたのは、伊勢神宮の御師と呼ばれる人々です。
御師とは全国各地を回って神札を配り、また代参の手助けなどをして奉納金を得る下級神職のことで、ひらたく言えば神社の営業マンといったところでしょうか。
伊勢神宮では、鎌倉時代以降から多くの御師たちが活躍し、その結果江戸時代になるとお伊勢参りが大流行しました。
伊勢の御師たちは、はじめは信者のために神楽や湯立による祈祷を行っていましたが、やがて彼らの中から獅子舞 (※注1) を演じて檀那場(毎年の得意先)を回る人々が現れました。これが、伊勢太神楽のはじまりです。
太神楽は「大神楽」とも「代神楽」とも表記され、その語源は伊勢に直接参拝する代わりだからとも、大神宮神楽の省略であるとも言われています。
やがて神楽師たちは、獅子舞に加えて”放下”と呼ばれる曲芸を織り込むようになりました。「綾採の曲」「手まりの曲」「傘の曲」などの巧みな技で人々を喜ばせ、初穂料のアップと顧客の新規開拓を図ったのです。
※1… 獅子舞は唐の伎楽がそのルーツで、日本に伝えられたのは8世紀頃とされています。 獅子は悪魔を退ける霊獣と信じられていたため、疫病祓いや竈祓い(火伏せ)の祈祷に取り入れられました。
今も残る太神楽の伝統
伊勢大神楽の本拠は、三重県桑名郡太夫村(現桑名市太夫)と三重郡東安倉川村(現四日市市東阿倉川)の二ヶ所です。
太夫という地名はまさしく、住民のほとんどが太神楽の太夫を生業としていたことに由来するといわれ、現在でも太夫に5組、東安倉には1組の太神楽の組があり、西日本を中心に回壇(巡業)を行っています。
こうした伊勢太神楽の一派が江戸に定着し、江戸太神楽として広まりました。江戸太神楽の中には、伊勢神宮ではなく熱田神宮や尾張津島神社の神札を配る人々もおり、「熱田派」「尾張派」などと呼ばれていました。
第二次大戦の惨禍とその後の都市化によって、江戸太神楽は檀那場をなくし、現在ではもっぱら寄席を活躍の舞台としています。
「おめでとうございます」 「いつもより余計に回っております」 でおなじみの傘回し芸も、元を辿れば伊勢の御師に行き着くのです。
此田神楽の言い伝え
明治時代になると、御師制度は廃止されました。以降、伊勢太神楽も他の伝統芸能と同じく、後継者不足による組の解散や檀那場の縮小を余儀なくされていきました。
けれど回壇がなくなった地域でも、地元の人たちが太神楽を習い覚え、芸能を今に伝えているところがあります。そうして生き残った太神楽の一つが、此田神楽なのです。
村史『遠山』には、此田神楽の由来について、次のような伝承が記されています。
此田に獅子舞がある。これは明治の初期に遠州水窪の佐太郎という人が此田へ養子として入ってきた。この人が愛知県小坂井村に参った時にこの地に伝わる小坂井かぐらの舞を習得して帰りこれを村の若い衆に伝授したのが始まりである。
その一方で地元では、此田神楽には三百年の歴史があるとも伝えています。
伝承の真偽はさておき、いずれにせよ太神楽の獅子舞は、遠山の人たちにとっても大切な祈りの機会であり、また待ち遠しい娯楽の機会でもあったのです。
●太神楽関連サイト 見世物広場 「太神楽曲芸について」のコーナーに、太神楽の歴史が詳しく紹介されています。 ●参考文献 『別冊太陽 お神楽』 2001 平凡社 「祭と神楽」 本田安次 (『日本の古典芸能1 神楽』 1969 平凡社 所収) 「里の神楽」 柴田実 (同上) |
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