長野県最南端の秘湯と秘境の里・山と渓谷に囲まれた里山がここにあります

信州遠山郷

遠山郷観光協会/長野県飯田市南信濃かぐらの湯となり
Tel0260-34-1071 http://www.tohyamago.com/

地図

遠山の滝

遠山の滝

伝説と祈りに満ちた水の芸術たち

遠山郷は谷だらけ、川だらけ。 他にも名もない滝がいくつもありますから、みなさんも探してみてください。 寄せられた情報は当サイトで掲載させていただきます。

信玄滝

信玄滝

国道418号沿いにある信玄滝は、遠山谷随一の名瀑です。道を挟んだ向かい側には、遠山氏が和田に城を築く前に居城としていた長山城址があります。遠山氏はときおりこの滝を訪れ、身を清めていたといわれています。

伝説によれば、武田信玄が遠州攻めのために秋葉街道を進軍した際、この滝に立ち寄って喉を潤しました。そのとき突然滝壺の水が静まり、鏡のようになりました。滝壺をのぞきこむと自分の顔が水に浮かび、そのことに感銘をうけた信玄は早速家来に命じて不動明王を建立させたといいます。

本当に武田信玄はこの滝に立ち寄ったのでしょうか。伝説に対してそんな問いをするのは野暮というものですが、少し考えてみましょう。

信玄が遠山谷を通ったのは元亀三年(1572)。当時、三万人とも四万人ともいわれる武田軍は、美濃攻略に向かう秋山信友隊、伊那から三河に向かう山県昌景隊、そして秋葉街道を遠州に攻め込む本隊の三手に分かれて進軍しました。

信玄率いる本隊は、大島城(現松川町)を出て小川路峠(上村と飯田市との境)を越えたと考えられているので、軍列が小川路峠から和田を抜け直接青崩峠に向かったとすれば、信玄滝はそのルートから外れてしまい、信玄がこの滝に立ち寄った可能性は低くなってしまいます。当時、遠山谷を治めていたのは初代和田城主遠山景広ですから、そのころすでに和田城が完成していれば、信玄は和田城に立ち寄って峠越えの疲れを癒したと想像するのが自然です。

一方、その頃まだ和田城が完成しておらず、景広がまだ長山城にいたとするならば、信玄は青崩峠越えに先立ち、長山城に入って信玄滝を眺めたことも十分考えられます。つまり信玄滝の伝説は、あながち荒唐無稽なものとはいえないのです。

信玄が建立したという不動明王は、享保三年(1718)の遠山地震によって流出してしまいましたが、後に修験者によって現在の不動明王が建立されました。

この滝不動は滝の上段に祀られてわかりにくいのですが、これを自分で探しあてて祈願すれば、御利益が授かると言われています。

クダショウ沢

クダショウ沢

遠山川を挟んで信玄滝の対岸、いわゆる遠山街道沿いにあります。

むかし、ある女の人が農作業の手伝いの帰り道、土産にメンパいっぱいの味噌をもらってこの沢にさしかかりました。きれいな水だったので、それを飲んで帰る途中、急に腹が痛くなり、家に着くとうわ言を言いはじめました。

家の者が 「何を食べた」 と尋ねると、 「メンパの味噌はうまかった」 などと口走るので、メンパを見ると、味噌はすっかりなくなっていました。

これはクダショウ(クダ狐)に憑かれたに違いないと、女に詳しく尋ねたところ、沢の水を飲んだことがわかりました。

以来、ここはクダショウ沢と呼ばれ、沢の水にはクダショウの小便が入っているので飲むと腹が痛くなると言われるようになりました。

大釜

  • 大釜「いろりの宿 島畑」の前の道(梶谷林道)を突き当たりまで行き、そこから梶谷川の左岸に沿って道なき道を10分ほど歩くと、大きな岩から流れ落ちる階段のような滝が現れます。これが大釜です。豊富な水が、岩と岩との間を轟音とともに流れ下る様は迫力があります。

滝の落ちる岩の上に、不動明王が祀られています。明治から大正にかけて、山林の伐採に入った梶谷の人達や王子製紙が、安全を祈願してまつったものです。また、旱魃の時には雨乞いの、長雨の時には日乞いの祈願が行われました。

明王像は滝の上にあるので、そこへ行くには滝の下流で梶谷川の右岸に渡り、急斜面を上る必要があるのですが、こちらも道はほとんどありません。 滝のふもとまでの道程は距離はさほどないものの、足場が悪い箇所があるので、滝見学の方はしっかりした身支度をお勧めします。

また、いろりの宿 島畑から大釜へ向かう林道の途中には「小釜」があります。道端の岩うのうえに「小釜不動尊」と刻まれた碑が立っています。車道からはよく見えないのが残念です。

  • 小釜小釜
  • 小釜不動尊小釜不動尊

金七の滝

押出と夜川瀬の間にあります。信玄滝ほど大きくはありませんが、形の整った滝です。滝の隣の岩肌からも水が流れ落ちていて、ちょっといい雰囲気です。

  • kane7金七の滝
  • kane71岩肌を流れる清水

●参考文献
『南信濃のあゆみ双書(九)南和田編』 1998 荒井学
『天竜水系を歩く 南アルプス源流の里 天龍・南信濃・上』 1998 遠山谷の河川を考える会編 建設省天竜川上流工事事務所
『南信濃村史 遠山』 1976 南信濃村史編纂委員会編 南信濃村発行
『古きを訪ねて 信玄滝』 さわみつる (南信濃村公民館報『やまなみ』27号)

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