
谷がするどく切れこんでいる遠山川流域では、今も昔も土砂崩れが後を絶ちません。
過去には、地震や洪水によって遠山川が堰き止められ、突如として巨大なダム湖が出現した時期もあったようです。
そうした災害の歴史は、村内の地名に残されています。
たとえば和田の「夜川瀬」という地名は、享保3年(1718)の大地震により、盛平山の一角が崩れ、一夜にして瀬(川原)ができたことに由来しますし、その近くの「押出」という地名も、文字通り土砂が押し出てきたことに由来します。遠山における江戸時代の災害の歴史は、村に残された古文書などに記されていますが、それよりももっと昔はどうだったのでしょうか。
そんな古代遠山の災害の爪あとを今に伝える証人が、遠山川の小道木橋やその下流付近に見られる埋没林です
飛鳥・奈良時代に集中
近年、遠山川の河床が低下し、土砂の中から大量の埋没木が姿を現しました。その数は51本にも達し、その半数は立ったままの姿で地中に埋もれていました。
埋没していたのはヒノキやケヤキを主とした混合林で、かなりの密度で茂っていたようです。中には樹齢千年は超えていただろうと推測される巨木もあります。
これらは他の地域の埋没木と比べると新鮮な色を保っており、その心材の強度も現生木に劣りません。その理由は遠山川の清流に浸されていたためと思われます。
そして、これらの埋没木に残されている一番外側の年輪の時代を「年輪年代測定法」。によって調べてみたところ、面白いことがわかりました。 どの木も西暦556年~710年の、飛鳥・奈良時代に集中していたのです。
埋没木年代測定結果
No 採取場所 樹種 年代(西暦)
1 畑上 ヒノキ 687年
2 小道木 ヒノキ 600年
3 小道木 ヒノキ 609年
4 小道木 ヒノキ 556年
5 小道木 ヒノキ 657年
6 小道木 ヒノキ 710年
7 小道木 ヒノキ 682年
山川での災害と埋没木
もちろんこれらの測定年代は、埋没木の年輪の保存状態によって結果が異なります。
木の表皮が残っていない限り、その木がいつ埋没したかの正確な結果は得られません。
木によって年代の測定結果が異なるのはそのためですが、どうやらこの時代、少なくとも西暦710 年から間もない頃に、何らかの大災害がこの遠山谷に起こったことは確かなようです。
じつはちょうどその頃に、遠江を震源とする巨大地震が発生していたことが、朝廷の歴史書に記されています。
『続日本紀』によれば、霊亀元年5月25日(西暦715年、新暦7月14日)に、 「山崩れ天竜川を塞ぐ、数十日を経て決壊し、敷智、長下、石田の三郡、民家170余区を没し、あわせて苗を損ず」 とあります。
また『日本略記』にも同じ年に 「遠江の国で地震が起き、土砂が崩れて麁玉河(天竜川の古名)の水が堰き止められ流れなくなった」 と書かれています。
『扶桑略記』はこの災害を和銅7年(西暦714年)の出来事としていますが、記されている内容は他の史料と一致しています。
天竜川ほどの大河が数十日間も堰きとめられたというのですから、それを伝える地名や痕跡が流域に残されていそうなものですが、現在のところそれらしき資料は天竜川沿岸から発見されていません。
けれど、平成15年に遠山川で新たな発見がありました。新しく発掘された二つの埋没木の年輪を詳しく調べた結果、これらが埋没した時代が西暦714年と断定されたのです。
こうしたことから、いくつかの可能性が見えてきます。
ひとつめは、遠江地震の発生年については『続日本紀』などの715年説よりも、『扶桑略記』の714年説のほうが正しいのではないかということ。
もうひとつは、天竜川が堰きとめられたという記録は、その一支流である遠山川での災害が誤って伝えられたものではないかということです。
埋没林の調査にあたった伊那谷埋没木研究所の寺岡義治さんは、当時の遠山川災害の様子を次のように想像しています。
歴史書に残された天竜川の災害とは、はたして本当に遠山川で起こったことだったのでしょうか。残念ながら、まだはっきりした結論は出ていません。
けれど、山深い遠山川の底から姿を現した埋没林が、都の歴史書の真偽を裏付けることになるなんて、何かロマンのようなものを感じませんか?
巨木・埋没林



遠山一族墓碑裏のスギ(観音大杉)
龍淵寺にある遠山一族の墓を護るように立つ4本の巨木。樹高は50m、推定樹齢400年。遠山氏が没落したとき、一族の霊を慰めるために村人が植えたものと思われます。
梶谷の枝垂れモミジ
梶谷地区の、その名もモミジ岩という場所にあります。イロハモミジという種類で、枝垂れものは珍しいとされています。4本あるうちの2本は周囲1メートルを超える太さがあり、地元では「逆さモミジ」の名で親しまれています。所有者である鎌倉さんのご先祖が、昔近くの山にあったものを現在の場所に植えて殖やしたもので、大きなものは樹齢100年ほどになるとのことです。
下栗の大栃(トキノキ)
栃は深山の谷間に多く自生している長野県を代表する広葉樹です。材は柔らかくて加工しやすく、実はアク抜きして栃粥、栃餅にして食べます。
遠山谷では貴重な食料として親しまれてきました。下栗には日本一とされる巨木があり、遊歩道が整備されています。