寅年・申年は、諏訪大社に限らず県内各地の諏訪神社で御柱祭が行われます。遠山地方でも、和田諏訪神社(南信濃村)と程野諏訪神社(上村)の二ヶ所で御柱祭が行われます。


6年に一度(7年ごと)のイベント
遠山地方と諏訪大社の関係は古く、嘉暦四年(1329)の諏訪上社の五月会の当番に、遠山氏が任命されたという記録が守矢家文書に残っています。
和田諏訪神社は、承久元年(1219)に再建されたと伝えられる遠山最古の社の一つですが、御柱祭が行われるようになったのは意外と新しく、明治十七年からのことです。
神社に残る歴代の献木者名簿には、村の資産家が名を連ねています。献木した家では、斧入式や山出し、そして本祭での来客者の接待を、全て自費で賄わなければなりません。それなりの財力がなければ引き受けられないことであり、だからこそ、その大任を引き受けることが家の誇りになるのです。
和田諏訪神社の御柱は、七間三尺(約13・6m)のものが一本だけです。木の皮は剥かず、メド梃子はなく、薙鎌も打ちません。木の種類に定めはありませんが、遠山の特産である杉が多く選ばれる傾向にあります。
令和4年度 御柱大祭日程表(和田)
御柱行事の流れ

(献木者山崎邦春さん)

(献木者小林清人さん)

献木見定式
次々回(十三年先)の御柱を定める式。献木者の親戚、自治会、神社氏子らが参列し、神棚と木前で祭事を行います。この式が済まないうちは、その年の御柱に斧を入れてはならないことになっています。献木者は、しっかりした財力と後継者のある家でなければなりません。
前献木納式
前回の御柱を境内から取り除きます。役目を終えた御柱は、社殿の修復などに利用されます。 献木斧入式 その年の御柱に使う木を切り倒します。見定式同様に神事が行われ、杣役の森林組合員が神斧を幹に当てる所作を行います。神事ののち、木はチェンソーによって切り倒されます。
曳縄供出
各自治会長が住民から縄用の藁を集めます。 縄ない式 新町、本町の氏子が、集めた藁で70mの縄をないます。
山出式
御柱を山から下ろし、遠山中学校の校庭に移します。山の急斜面を引き落とす場面が、見せ場の一つです。
室掘り
御柱を建てるための穴を掘り、予行演習を行います。
里曳・建御柱(御柱大祭)
遠山中学校前に約百人の行列が勢揃いし、神社までの一・五kmを「御柱音頭」を囃しながら曳航します。行列の順序は、祓い榊、榊、紋付、はかま姿の村長、神職、氏子総代、自治会長、国旗、宝船、五色の旗、弓、刀、槍、薙刀、神前旗、神社旗、三種神器、若党、進行係、神職、神輿、金銀の采配を持つ音頭、祢宜、室掘り、御柱立て、縄とび、梃子の順。
諏訪神社境内に曳きこまれた御柱は、ワイヤーを使って建てられ、最後に「てっぺん野郎」と呼ばれる若者が頂上に御幣を打ち込みます。
当観光協会HP、2021年7月に投稿された記事を元に作成しています。