肉とたれに秘められた村の近代史
羊肉(マトン)や山肉などを美味しいたれで味付けしました。山のお土産にいかがですか?


近所の衆が集まってユイ仕事。昼飯時になると、誰からともなく軽トラからガスボンベをおろし、コンロの上にデンと鉄板を据えつける。
近所のおばちゃんが、パンパンにふくらんだビニール袋を両手に提げてやってくる。中に入っているのは、キャベツとビールと遠山ジンギス……。
そんな光景が、毎週のように村のどこかで繰り広げられています。
焼肉用の味付け肉は、遠山の暮らしになくてはならない必需品。遠山の人たちは季節を問わず、場所を問わず、いつでもどこでもジンギスカンなのです。
長野県は、北海道に次ぐジンギスカン大国。その中でも、信州新町と遠山はジンギスの本場です。どうして遠山の名物がジンギスカンなのでしょうか。
遠山ジンギスの起こり
現在の遠山郷で羊の飼育はされていませんが、昭和28年から35年ころにかけて、当時の遠山村、木沢村では綿羊飼育が奨励されていました。
最盛期には、村内で150頭近くの綿羊が飼育されていたのです。しかし、昭和35年頃からその飼育頭数は減少していきました。 肉のスズキヤ(昭和30年創業) の初代、鈴木理孔さんは当時を振り返ります。
「オレが肉屋を始めた頃、木沢村じゃ農協が音頭をとってホームスパン(羊毛をそのまま染め、手つむぎして織った素朴な織物)用の綿羊の飼育を奨励してた。ところがだんだん羊毛が売れなくなって、オレんところにも『肉として売れないか』って話が来たんだな」
綿羊の飼育は昭和35年から下火となり、昭和40年頃までに遠山から完全に姿を消してしまいました。しかしその一方で、ジンギスの食文化は確実に村に浸透していきました。その味付けをスズキヤさんに伝授したのは、在日朝鮮の人だったといいます。
「戦時中は飯島発電所を作るために、約1万人も中国人や朝鮮人の労働者が遠山に来ていたんだ。そんな彼らの一人から、オレはジンギスの味付けを教わったんだよ」(理孔さん)
昭和50年頃になると南信州産の羊肉も仕入れが難しくなりました。現在、すべての羊肉はオーストラリア産の自然放牧のものを仕入れています。
若旦那の理さんは、 「肉は輸入だけど、タレの味は村の人たちに育てられたものだからね。うちでないと出せない味があるんです。だからやっぱり『遠山ジンギス』なんですよ」


スズキヤそして清水屋。それぞれの味の違いが分かれば、あなたはかなりの”トオヤマニア”です。
遠山ジンギスには、ラムやマトンばかりでなく、豚肉を使った「ぶたじん」、遠山地鶏を使った「とりじん」、名物山肉を使った「ししじん」などもあります。
つまりは肉の種類が何であれ、焼肉用の味付け肉は何でもジンギス。こうしたおおらかな定義も、遠山ならではの文化なのかもしれません。
肉のスズキヤ Tel.0260-34-2222
清水屋 Tel.0260-36-2046
当観光協会HP、2011年12月に投稿された記事を元に作成しています。