
森林鉄道の軌道は、廃線後も村道として利用されてきました。
現在は梨元から北又渡までの林道が寸断されており、林道赤石線から下栗を経由する必要がありますが、北又渡から便ヶ島までは、ほぼ軌道に沿って村道が走っており、自動車が通行できます。
便ヶ島からさらに奥の西沢渡までは、約1時間の歩道が整備され、当時の軌道上を歩くことができます。
夢をつなごう遠山森林鉄道の会
https://tohyama-rin.jugem.jp/
平成23年1月に発足した「夢をつなごう遠山森林鉄道の会」の会員らが、廃線後に近隣住宅で屋根の重しに使われていたレールを各家庭に依頼し回収。軌道に敷く砂利や枕木用の材木は地元企業から提供を受けた。11月下旬までに、鉄道の発着所だった南信濃木沢の「貯木場跡地」にある観光施設「梨元ていしゃば」に50メートルの線路も敷設。同所に展示していたディーゼル機関車の整備にも取り掛かっている。
会員は70人。地元のほか、東京、愛知、大阪などからも森林鉄道に思いを寄せる人たちが参加している。約20年間、林鉄の保線をしていた地元の原田広明さん(79)は「廃線はとてもさみしかった。復活の話を聞いた時は涙が出るほどうれしかった」と話す。 「来年には機関車を動かしたい。将来は線路を400メートルまで延ばし、車庫や休憩所も作りたい」。同会長の前沢憲道さん(63)の夢は膨らむ。




森林鉄道の始発駅
江戸時代以降、遠山地方の山林は天領(のちの国有林)として村民による伐採が禁じられていたために、豊かな森林資源が残されていました。
明治から大正にかけての遠山地方は、民有林が王子製紙に買い上げられて大々的に伐採されましたが、南アルプスの国有林が本格的に開発されるようになったのは、遠山森林鉄道が登場してからのことです。
江戸時代以降、遠山地方の山林は天領(のちの国有林)として村民による伐採が禁じられていたために、豊かな森林資源が残されていました。
明治から大正にかけての遠山地方は、民有林が王子製紙に買い上げられて大々的に伐採されましたが、南アルプスの国有林が本格的に開発されるようになったのは、遠山森林鉄道が登場してからのことです。
かつて森林鉄道の始発駅があった場所には現在、その名にちなんだ道の駅「梨元ていしゃば」が建っています。当時活躍していた車両のほとんどは廃棄されてしまいましたが、平成12年に梨元ていしゃば駐車場に当時の機関車が復元・移設されました。
梨元ていしゃば
これは村内八重河内地区に放置されていたものを、木沢活性化委員会の皆さんが里帰りさせ、車体の清掃、錆取、ペンキ塗りなどをおこなって当時の姿を復元させたものです。色も、当時の営林署OBのアドバイスによって再現しました。 一時は 「オーバーホールすれば動くのではないか」 との期待も高まりましたが、交換する部品がないためにエンジンの復活は実現しませんでした。
当時の機関車は他にも、上村下栗のハイランドしらびそに一両が保存されています。これらの機関車には、今でも鉄道ファンのみなさんが見学に訪れています。このように、森林鉄道は観光資源の一つとして新たに注目を集めているのです。
遠山森林鉄道 の写真集
森林鉄道のあゆみが出版された時の記事が、南信州新聞に掲載されたので、紹介します。
上記写真集は2004年9月に出版されました。発売後2ヶ月で、1000部を超える好評のようです。写真集での再刷はなかなか難しい時代。売り切れてしまったらもう手に入らないかもしれません。貴重な写真集なのでぜひご覧になって下さい。
▼本を作った関係者さんのサイトです
りんてつ倶楽部https://rintetsuclub.client.jp/
当観光協会HP、2016年11月に投稿された記事を元に作成しています。