霜月まつりの様子を再現したジオラマなかでも二代領主遠山土佐守景直は機略に優れた人物で、徳川家康に従い大阪冬夏の両陣に出陣し戦功がありました。
土佐守が元和元年和田城に没すると嘉兵衛景重が領主を継ぎましたが、病弱のため早逝し、子がなかったので同族の間で相続争いが起こり、領民もまた二派に分かれて不穏の状態となったので、徳川幕府は一家不取締の理由をもって領地をことごとく没収し、徳川直轄の地としました。
一説には百姓一揆が引き金となり遠山氏は滅んだとの史家の有力な論証もあります。いずれにしても、遠山氏の栄華は三代で終わり、一族思い思いに離散して、その最期は憫れであったと言われています。

館内には霜月まつりの面が展示してあります
遠山氏の家紋