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和田宿の歴史

時代ごとに表情を変える宿場町

 南信濃村の中心市街地、和田の街。戦国時代は遠山氏の城下町として、江戸時代には秋葉街道の宿場町として栄えました。また、王子製紙による山林伐採が行なわれた明治から大正にかけては、料亭などが立ち並ぶ一大繁華街でもありました。

 車を停めてゆっくりと歩くと、軒を連ねる家々のたたずまいに、かつての面影をしのぶことができます。

遠山氏の城下町

戦国時代〜江戸時代初期

 遠山氏三代が和田城を治めていた時代、その城下町は現在の和田本町地区の範囲だったと思われます。
 城下町は盛平山と遠山川の間に広がり、和田城の外廓の役割を果たしていました。現在に残る尾屋敷、殿町、桜門前、的場といった地名は、当時の名残であると推測されています。
 武田信玄も元亀3年(1572)に大軍を率いて和田を通過しました。青崩峠越えに先立って、兵士たちは和田の城下町でつかのまの休息を得、行軍の疲れを癒したのではないでしょうか。
 遠山氏は元和4年(1618)に滅び、その30年後に龍淵寺が城址へ移転しました。

和田宿歴史マップ

秋葉街道の宿場町

江戸時代中期〜明治時代初期

 江戸時代中期以降になると、商品流通が活発になるとともに、社寺への参詣が盛んになります。和田の町は秋葉街道の宿場町として、交易の品々と参詣の往来人とで賑わいました。
 享保3年(1718)に発生した大地震では、、盛平山の西側斜面が崩落して川の流れが西へ移動し、新町地区の誕生につながりました。
和田の町並み和田の町並み 『写真でつづるみなみしなの』より

山林景気の繁華街

明治時代中期〜大正時代

 明治8年に誕生した遠山村の役場は、木沢地区に置かれました。和田に役場が移転したのはその2年後、木沢の町が大火に襲われたことがきっかけでした。

 明治29年(1896)からは王子製紙による山林の大規模伐採がはじまり、村は山林労働者でふくれあがりました。
 現金収入を手にした男たちは和田の街にくりだし、料亭で豪勢な遊びを楽しみました。和田宿には多くの料亭が立ち並び、カブチャ(歌舞者)と呼ばれる酌婦が男たちの人気の的となりました。
 明治40年には、飲食店は20軒、商業の中では村で最も多い業種となるほどでした。

和田の町並みの写真杣師やヒヨウで賑わった料亭「仙鶴亭」
『写真でつづるみなみしなの』より