小嵐様には、村内はもちろん、飯田伊那地方さらには愛知県からも、参拝客が訪れます。
お稲荷様なので商売繁盛を祈る人たちが多いのですが、小嵐様の守備範囲はそれだけにとどまりません。太平洋戦争中は出征兵士の無事を祈願する人たちが多くお参りしましたし、昭和40年頃までは養蚕の守り神として崇敬を集めました。
「遠山じゃあ霜月祭りが有名だけど、神様としてこれだけよそからたくさんお参りに来るのは小嵐様だけだに」 と、木沢集落の人たちは口を揃えます。
今でこそ小嵐様は、不便な山の中にぽつんと建っているという印象ですが、かつてここには街道が通っていました。
秋葉街道の枝道の一つで、伊那山地を越えて飯田市千代と遠山谷を結ぶ「千遠線」です。
飯田からの参拝者たちは、換えの草鞋を腰にぶら下げてはるばる千代峠を越え、この神社で一泊のお篭りをしていったのです。
小嵐稲荷神社の創建については、こんな由来が伝わっています。
天明八年(1788)、京都で大火が起こり東本願寺が焼け落ちました。その再建のための用材集めを発願していた遠州浜松の齢松寺の僧が、信州遠山にすばらしい木があることを聞きつけてこの地にやってきました
(※注4)
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そして寛政元年(1789)、険しい山の作業の無事を祈るために、山主である大屋孫治郎という庄屋と協力して京都伏見稲荷から分霊を勧請してきたのが、この小嵐稲荷神社なのだそうです。
「京都から迎えてきたはいいけれど、なにしろキツイ神様だからな。とうとう山仕事の人たちが恐くなって、土地のモンに『祀ってくれ』って頼んで置いてっちゃったらしいなあ」 と語る村の方もいます。
その真偽は別にしても、小嵐様らしいエピソードです。