やがて、古老たちは一人またひとりと他界していき、平成の時代に入ると、神楽の全容を覚えているのは山崎鶴好さん(故人)ただ一人になってしまいました。
彼は当時すでに80歳を越えており、 「もし鶴好さんがいなくなったら、此田神楽は消えてなくなる。復活させるとしたら、今しかない」 という声が、地区の若者たちから上がったのです。
此田地区だけでは人手が足らないので、八重河内全体から祭り好きの有志を集め、鶴好さんを囲んでの練習が始まりました。
意外なほどの難しさに、一度は練習が挫折したこともありましたが、村おこし事業の一環として行政のバックアップを受け、稽古は再開されました。平成四年の御柱祭でのお披露目を目標に、週一、二回のペースで練習を重ねました。
舞は鶴好さんの舞や笛をビデオやオーディオテープに録画し、動きの一つ一つから学びました。舞の演目が異なれば、笛が奏でる曲も異なります。現在でこそ曲目は採譜されていますが、当初は鶴好さんの指を見つめ、「チロラリヒャリヤ……」と口ずさみながら旋律を覚えました。

沢口優さん
初舞の合間に一服