南信濃村の地下には、木沢梨本から南和田飯島まで、延長16kmに及ぶ巨大なトンネルが横たわっています。
これは、梨本堰堤で取水した遠山川の水を、南和田にある飯島発電所に送るための導水トンネルです。
昭和18年、第二次世界大戦のさなか。 日本発送電株式会社
(※注1)
は、政府から緊急の電源開発を命じられ、翌19年に飯島発電所の建設工事に着手しました。
同年に来村した作業員1500名の中には、朝鮮半島や中国大陸で徴用された労働者が多く含まれていました。
彼らの給料は日本人労働者の半分にも満たず、監視つきの小屋で寝泊りをしながら、過酷な労働を強いられたといいます。
同じ時期に建設が進んでいた下流の平岡ダムでも、同様の状況でした。満島には捕虜収容所や飯場が立ち並び、建設中の事故や病気で多くの外国人労働者や連合国捕虜が命を落としました。
飯島発電所は終戦後の昭和22年に完成し、現在でも最大認可出力12,700kwで発電をおこなっています。
遠山川での電力事業は、水利権の補償金や村税として、南信濃村の経済と切っても切り離せない存在です。
平成3年に北又渡発電所が完成したこともあり、現在の村税収入の半分以上は、中部電力からのものです。
自然環境をめぐって、脱ダム論議が盛んになっている現在。その一方でわたしたちの生活が、外国人労働者たちの過酷な犠牲の上に成り立っている事実も、忘れてはならないことなのではないでしょうか。