
鈴木理孔さん
現在の遠山郷で羊の飼育はされていませんが、昭和28年から35年ころにかけて、当時の遠山村、木沢村では綿羊飼育が奨励されていました。
昭和28年 木沢農協(当時)が神稲市場および福島県から綿羊50頭を導入同29〜30年度 山本農協から綿羊40頭を導入同32年 遠山農協(当時)が下伊那畜連から綿羊40頭を導入
最盛期には、村内で150頭近くの綿羊が飼育されていたのです。しかし、昭和35年頃からその飼育頭数は減少していきました。
肉のスズキヤ(昭和30年創業)
の初代、鈴木理孔さんは当時を振り返ります。
「オレが肉屋を始めた頃、木沢村じゃ農協が音頭をとってホームスパン(羊毛をそのまま染め、手つむぎして織った素朴な織物)用の綿羊の飼育を奨励してた。ところがだんだん羊毛が売れなくなって、オレんところにも『肉として売れないか』って話が来たんだな」
綿羊の飼育は昭和35年から下火となり、昭和40年頃までに遠山から完全に姿を消してしまいました。しかしその一方で、ジンギスの食文化は確実に村に浸透していきました。その味付けをスズキヤさんに伝授したのは、在日朝鮮の人だったといいます。
「戦時中は飯島発電所を作るために、約1万人も中国人や朝鮮人の労働者が遠山に来ていたんだ。そんな彼らの一人から、オレはジンギスの味付けを教わったんだよ」(理孔さん)
昭和50年頃になると南信州産の羊肉も仕入れが難しくなりました。現在、すべての羊肉はオーストラリア産の自然放牧のものを仕入れています。
昭和50年頃になると南信州産の羊肉も仕入れが難しくなりました。現在、すべての羊肉はオーストラリア産の自然放牧のものを仕入れています。
若旦那の理さんは、 「肉は輸入だけど、タレの味は村の人たちに育てられたものだからね。うちでないと出せない味があるんです。だからやっぱり『遠山ジンギス』なんですよ」